北海道・追分の旅人宿
遊 民宿 旅の轍 -tabi no wadachi-
since2015
宿主紹介
宿主:のみぞう (写真左)開業時の写真です。
1974年9月生まれ 出身地:奈良県
趣味は鉄道模型(工作派)・古い町並みと酒場を巡る旅。元チャリダーでバイクは乗れませんw
STAFF:みゆき (写真右)香川県三豊市父母ヶ浜にて。
出身地:神奈川県。旅と猫が大好き!
【こんな経緯で宿を始めました・・・】
旅が好き、旅人が好きで、道北は利尻島にあった利尻グリーンヒルYH(ユースホステル)での11年のヘルパー経験を経て、ご縁があった安平町追分で念願の旅人宿を2015年10月に開業しました。
そんな宿主は、20代の頃から自転車・JRなどで北海道を旅をして、本州から渡道した回数は30回以上・・・。
旅の道中、たまたま夕食に入った食堂でお風呂に入れて頂いたり、バスの時間待ちで国道を歩いていたら、配達中の米屋さんの車に乗せてもらい、お昼ご飯までご馳走になったり、駅前の花壇に座って汽車の時間まで時間潰ししている時に、見知らぬおばさんから飲みきれない程のジュースの差し入れを頂いたり、同宿した旅人さんからお酒をご馳走になったり、温泉に連れて行ってもらったり、風景を見に連れて行ってもらったり・・・
楽しい思い出と感動は尽きないのですが、旅先で出会った北海道の人々や旅人さんの恩恵あって、北海道という場所にハマりました。いわゆる「北海道病」という病気にかかってしまいました・・・。
そんな経験もあって、今まで自分は充分に楽しんだのだから、今度はこれからやって来る若い世代の旅人さんに北海道の旅の良さをもっと知ってもらいたい。そして旅のお手伝いが出来れば・・・。
という想いで、安平町追分に移住して、リーズナブルでかつ楽しめる旅人宿の開業を目指しました。
若い人たちが利用しやすい宿にするため、宿泊料金は、開業する直前に知り合いの大学生にアンケートを取ってから決めました。
こんな経緯で、人々とのご縁や繋がりを大切にする宿主が運営している宿が「旅の轍」です。
楽しく飲み語らい、北海道の思い出を轍として心に刻むお手伝いができればと思います。
【旅の轍は「旅人宿」です】
宿主が旅をしていた1990年代後半から2010年頃まで、旅先での宿の主流はユースホステル(YH)やとほ宿などの旅人宿、ライダーハウスでした。
北海道も本州も旅しましたが、北海道の宿って、独特な文化があると思います。
宿に到着したら、初めて来たのに「おかえりなさい!」って挨拶されるし、出発する時は「いってらっしゃい!」と、玄関先や港でのお見送り。そして、夜はミーティングやお茶会なんかがあって、宿主さんやヘルパーさんが出てきて、一人で来た人でも入りやすい雰囲気を作ってくれる。
私がYHでヘルパーしてた頃、夜のスタッフの反省会という飲み会の席で「ヘルパーの一番大事な仕事は、テーブルを作る事だ!」と言った仲間が居ました。まさにその通りだと思います。
ここで言うテーブルを作るとは、知らない人々同士が、和気藹々と話しで盛り上がる事を言います。更に私が居たYHの方針では、たとえ50人60人泊まってようが、必ず名前で呼ぶ事になっていました。(おにいさん、おねえさん、等とは呼ばない)そして、暇にしてそうな人に声かけて一緒に遊んだり・・・。
厚いもてなしの心、つまりホスピタリティこそが、北海道の旅宿の独特な文化の基本なのだと思います。
実際、私がYHのマネージャー講習を受けた時、講師の人が、「ユースホステル(Youth Hostel)のホステルとは、ホテルとホスピタリティの造語」だと言ってました。
たくさんの仲間と過ごした私のYHヘルパー時代、仲間と共にたくさんの事を経験し学びました。
共に笑い、共に泣き、共に感動し、共に考え、共に旅人の為に一所懸命過ごした夏の利尻。それは、青春の時代でした。ここで出会った仲間達は、かけがえのない物となりました。
数年経って、旅の轍を立ち上げる時、道内の旅宿事情は、私が旅していた頃とは少し変っていました。
YHは減少を続け、都市部を中心にゲストハウスがたくさん出来ていました。
正直、迷いました。主流に合わせて、旅の轍の冠名をゲストハウスにするのか、旅人宿にするのか・・・。
しかし、2010年に私が島(利尻島のYHの事)を去る時にペアレント(=マネージャー)に告げた「YHは継げなかったが、あんたの魂だけは継いでやる!」というのだけは、どうしても裏切れません。そんな訳で古き良き北海道の旅の宿のスタイルを残すべく、旅の轍は北海道らしい「旅人宿」というスタイルで進める事にしました。
今のご時世、インターネット無くしては旅の下調べも出来ない世の中となりました。しかし、旅の轍の予約は電話オンリー。メール予約も無ければ、予約サイトとも契約していません。これは、宿主のこだわりで旅人さんの声を聞いて予約を受けたいからなのですが、ただ単に安く泊まれる宿だから・・・ではなく、本当に旅が好き・北海道が好き・安平が好き・そして旅の轍が好きな旅人さんに「帰ってきて欲しい」との想いでの事です。(個性的な宿だという事もありますが・・・)ご不便をお掛けするかもしれませんが、宿主のワガママをお許しください・・・。
ちょっと古風で頑固、そしてモラトリアムな宿主かもしれませんが、仲間と創り上げた旅の轍はいつまでも人の温かさが集まる宿であって欲しいと心から願います。
※長々とウンチクを書いてますが、宿主は決して気難しい人間ではありません。どうぞ気軽にお越しくださいw
※ユースホステル(YH)とは、現在ある旅人宿やゲストハウスの先輩にあたる、青少年のための簡素な宿です。
【宿主も移住者です!】
利尻島のYHでヘルパーとして働いていた頃から、北海道好きだったこともあり、漠然と北海道に住みたいという願望が湧いてきました・・・。
都会で満員電車に揺られて会社に通う生活よりも、将来は憧れの北海道でスローな生活を送りたいというものです。本州に戻ってから、移住相談窓口や団体に登録したり、職安で北海道の仕事を探したりして、実際に道内で働く機会が2回あったものの、縁に恵まれず奈良に戻ることになりました。
2回目に失敗したのが、2005年。その帰りに立ち寄ったのが当時の追分町鉄道資料館でした。
それが今の宿のある安平町の人々との出会いの始まりでした。
移住に失敗し、これからどうしようかと意気消沈している私の前では、国鉄OBの鉄道資料館の方々が、誰に指示される訳でもなく和気藹々と蒸気機関車を手入れしていて楽しそう。
「この町の人々達と一緒に暮らせたら、楽しそうだな~。」それが、私が最初に抱いたこの町への印象でした。それから、利尻島でのヘルパー帰りには毎回、追分に立ち寄るようになりました。
「北海道で何をして生活したいか」という問いかけには、やはり「宿をやりたい!」。
当時、私がヘルパーしてたYHでは、後継者問題も浮上。しかし、その頃、旅人さんが泊まる今までの形態の宿はちょうど時代の転換期を感じていた事もあり、私個人としては、山より汽車の方が好きなので、利尻島での宿の後継になるのは止めました。
「北海道でどこに住みたいか」という問いかけには、やはり「追分に住みたい!」。
周りの仲間からも「追分ってどこ?」とか「のみぞうはやはり利尻だよ!」とか言われましたが、その気持ちは変わりませんでした。
旅人宿だからといって、必ずしも都市部や観光地に有る必要はありません。その土地で何かを見つけて歩くのが旅の醍醐味の一つだと思うので、そう考えていました。必ずしも、有名な所だけが良いとは限りませんし、良い見どころは、探せばどこにだってあると思います。それに、追分のどこでも行きやすいという地の利を生かせば、遊びに行ける可能性はかなり広がります。それに、空港や港からも離れてないし・・・。
そんな理由で、追分で宿を始めたいと思いました。
そして、ここまで決まれば、あとは実行あるのみ!2008年に安平町役場を訪れ、具体的に宿の物件を探し始めました。結局、物件が決まるまで4年を要しました。あまりにもなかなか決まらないので、仲間内から「今度決まらなかったら、縁が無いから諦めろ!」とまで言われたり・・・。
当時、私は追分には個人的な知人もおらず、足繫く役場や業者を回りました。今は無き東追分駅で降りて徒歩で空き家を探して回ったこともありました。はっきり言って、この時期が一番辛かったです。
しかし、何度も足を運べば、親しくなる方も出来てきます。そして、2012年春、人々のご縁で今の宿の物件が決まりました!
でも、喜んでる場合ではありません。
今まで旅に明け暮れていた私は、具体的なビジョンが見えたため、宿の開業資金を準備しないといけません。
以来、仕事を2つ掛け持ちし、旅は止めて仲間との飲み会も控えて、宿を開業する事だけを考えました。
2012年11月から改装工事に着手。工事には、銭函のとほ宿の宿主さんはじめ、全国から利尻などで出会った旅人さんが駆けつけてくれました!
開業までは3年かかりましたが、これは半年みっちり働いて資金を稼ぎ、会社を休んで2~3週間追分に向かい、改装工事をやるという繰り返し。当時、関空発着のLCCが出来たばかりだったので、片道1000円で北海道に来れたりというラッキーな事もありました。
3年間、旅人さんのために宿を開くべく、ストイックな生活をしていたのですが、最後に奈良から追分に引っ越す時は、青春18きっぷで旅をしながら北海道に移動しました。暫く、旅の世界から離れざるを得なかったため、今の旅宿事情を学ぶべく、都会のゲストハウスから田舎の下宿まで、いろいろ泊まりながら追分に向かいました。そして、2015年9月7日、私は晴れて安平町民になりました。
それから、消防署と保健所の検査を経て、10月10日に「旅の轍」は開業しました。
宿を開く10年前に私がこの町に来るきっかけになった鉄道資料館。そこには国鉄OBの皆さんと一緒に和気藹々と蒸気機関車を磨く私の姿もありました。
私の場合、かなり不器用な人間なので、移住に向けて実動7年を要したのですが、「諦めない根気」が有れば、夢は叶います。夢は、実現させるための原動力です。
これから移住されるみなさん、頑張ってください!
「旅の轍」では、安平町はじめ近隣の町への移住を検討されている方の宿泊も大歓迎です!
また、私のような宿をこれから始めてみたいという方もおられましたら、是非お越しください!
お会いする機会がありましたら、夢を語りながら飲みましょう!
宿主が利尻島のYHでヘルパーしてた時代の写真です。当時は毎晩、歌のミーティングをしてました。今となっては懐かしい・・・
鉄道資料館でSLを出し入れする機関車を運転する事もありました。